手元供養とは

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大切な人だからこそ、いつまでも近くにいたい

さて、今回はお墓のことから離れてみましょう。
「手元供養」という言葉、ご存知でしょうか。
その名の通り、皆様のお手元で亡くなられた方をご供養することです。つまり、ご遺骨をお墓や仏壇に納めてお祀りするのではなく、実際に手に触れられる形にして、いつでも身近に置いておく、というものです。これまでのお墓やお仏壇にはとどまらない、新しい形での故人とのふれあい方と言えるでしょう。

e1b81aede269b785b00e4528ef960bfa_s手元供養でご遺骨を納める形には、さまざまな種類があります。
まず、なるべくご遺骨に手を加えたくないという方には、天然石をくりぬいたり、金属や陶器で作る専用の大型納骨容器があります。このタイプなら、お骨上げしたご遺骨を残さず納めることができます。
次に、ご遺骨に手は加えないものの、持ち運んだり身に着けたいと思われる方。この場合は、ペンダント型の容器にご遺骨の一部を納めることで、肌身離さず持ち歩くことができます。
また、ご遺骨に加工を加える場合。ご遺骨を細かい粉末にすることで、さまざまな形をとることができます。写真や似顔絵、メッセージを印字したプレートにすれば、家族がいつもいる部屋に飾っておくことができます。ペンダントトップにして家族全員に配ることも。また、クリスタルガラスなどの容器に入れて将来的に散骨するまでは一緒に過ごす、ということも考えられます。
このように、手元供養には多くの選択肢が生まれているのです。

なぜ今、手元供養なのか

さて、どうして手元供養という形がクローズアップされているのでしょうか。
その理由としては、現代日本人の生活スタイルの変化があげられます。

「お墓を誰が、どうやって守っていくのか」
これは、お墓のことを考える上で永遠の課題といえます。戦後70年というスパンで考えると、もっとも大きく変わったのは「先祖代々の土地で暮らし、そこで人生を終える」という生活を送る人の割合が大きく減ってきたことでしょう。東京への一極集中への弊害はよく言われますが、それでも「よい学校」「大きな会社」は東京に多い、というのは、戦後70年間に日本の歴史が積み上げてきた厳然たる事実です。つまり、地方で生まれ育った人でも、人生のどこかのタイミングで東京に引っ越すことは多いでしょう。特に仕事に就くとなると、数十年という単位でそのまま東京での生活を選ぶことになります。働き方にも多様性が認められるようになりましたが、企業の東京集中という実態はなかなか変わるものではありません。進学や就職で東京に出てきた人たちは、故郷で守ってきたお墓をどうするのかを考えなければならない。お墓のお引越し=「改葬」をするにしても、お墓を新規に建立するのとプラスアルファで費用がかかりますから、金銭的な負担はかなりのものです。

しかし、亡くなった家族を身近に感じていたい、という気持ちは変わらずにあります。これは長年日本で暮らしてきたわたしたちが築いてきた慣習ですから、なかなか理屈で変えてしまうのは難しいですね。そこで、なるべく費用がかからず、しかもお墓に納骨するよりももっと身近に故人を置くことができる手元供養に注目が集まっているのです。

また、一族一家がおなじ土地で暮らさなくなったということは、別の現象も引き起こしています。例えば、ご両親がもともとの地元で暮らしていて、長男が東京、次男が九州、三男がアメリカで暮らしている……ということも、現代の生活環境ならば十分考えられることです。このケースで、仮にご両親のどちらかが亡くなられたとします。長男一家が暮らしている東京に一家のお墓を改葬したとして、次男や三男が日常的に墓参をするのは難しいことです。次男の九州に改葬しても同じこと。こういう場合に、手元供養としてご遺骨を細かく砕いてペンダントにすれば、誰もが同じように身につけることができるのです。また、長男や次男が転勤の多い仕事だった場合はどうでしょうか。地元にお墓があってもお守りするのは難しく、また改葬先も決めにくい。このような場合でも、手元供養は選択肢として上がってきます。
また、女性のお子さんで「他家にお嫁に行く」という場合。古い家族観では「一度嫁に行ったら、二度と実家の敷居はまたぐな」などと言いますが、さすがに現代でそのような発想をされる方は少ないでしょう。それでも将来的に別のお墓に入る、ということは起こりうるもの。そこで、実のご両親の縁につながる手元供養品を身につけておきたい、という考え方もあります。

お墓の問題以外でも「ご遺骨を手放したくない」と思われる場合があります。いわゆる逆縁、お子様を亡くされた親の方のことです。病気、事故、さまざまな事情がありますが、子供に先立たれ、残された親はみな深い心の傷を負います。お子様を失った悲しみ、なぜそんなことが起きてしまったのかという怒り、またご自分の存在の根幹を揺り動かすような強い喪失感。このような深刻な心の傷で自分自身を傷つけてしまわないように……と行われるのが、グリーフケアと呼ばれる精神的な癒やしです。

身近な家族を亡くす悲しみは、仮に長い病気や老衰などで心の準備があったとしても、例えようのないものです。まして自分より年若い我が子を失った悲嘆は想像するにあまりある。残されたご遺品を時には目の前から遠ざけ、時には抱きしめて撫でさするなど、心は大きく乱れます。このようなときに、故人を思うよすがとしての手元供養の品を手の届くところに置いておくことが、最終的にこの悲しみを昇華するための大きな手がかりになるのです。

急の逆縁が起きてしまった時、当事者ではなかなか手元供養のことまでは気が回らないものです。なかなか難しいことですが、親族や家族の方がこのような提案をされてはいかがでしょうか。いつまでも苦しみ続けることは、何よりも故人が最も望まないことでしょう。

また逆縁ではなくとも、長年連れ添った配偶者を急に亡くされることも、残された方にとっては大きな痛手になります。この場合にもグリーフケアは大切なことになってきます。ご夫婦間でのケアは、やはり子供たちが担うのは一番でしょう。子供の身としても親を亡くしたわけですから大きな悲しみではありますが、先立ってしまった方のためにも、残された方の悲しみを少しでもやわらげ、少しでも日常の暮らしに戻してあげる手助けができれば……と考えます。

経済的な面でも、故人との関わり方の面でも、手元供養はこれからの日本ではますます増えていくでしょう。お墓ほど形式張らず、経済負担が少なく、それでいてより故人を身近に感じられる。「お墓=家族墓」という近代的な価値観に縛られない新しいご供養のかたちを、ご家族みんながお元気なうちに考えておく……そういう選択肢もあっていいのではないでしょうか。

手元供養とは

投稿日:

大切な人だからこそ、いつまでも近くにいたい

さて、今回はお墓のことから離れてみましょう。
「手元供養」という言葉、ご存知でしょうか。
その名の通り、皆様のお手元で亡くなられた方をご供養することです。つまり、ご遺骨をお墓や仏壇に納めてお祀りするのではなく、実際に手に触れられる形にして、いつでも身近に置いておく、というものです。これまでのお墓やお仏壇にはとどまらない、新しい形での故人とのふれあい方と言えるでしょう。

e1b81aede269b785b00e4528ef960bfa_s手元供養でご遺骨を納める形には、さまざまな種類があります。
まず、なるべくご遺骨に手を加えたくないという方には、天然石をくりぬいたり、金属や陶器で作る専用の大型納骨容器があります。このタイプなら、お骨上げしたご遺骨を残さず納めることができます。
次に、ご遺骨に手は加えないものの、持ち運んだり身に着けたいと思われる方。この場合は、ペンダント型の容器にご遺骨の一部を納めることで、肌身離さず持ち歩くことができます。
また、ご遺骨に加工を加える場合。ご遺骨を細かい粉末にすることで、さまざまな形をとることができます。写真や似顔絵、メッセージを印字したプレートにすれば、家族がいつもいる部屋に飾っておくことができます。ペンダントトップにして家族全員に配ることも。また、クリスタルガラスなどの容器に入れて将来的に散骨するまでは一緒に過ごす、ということも考えられます。
このように、手元供養には多くの選択肢が生まれているのです。

なぜ今、手元供養なのか

さて、どうして手元供養という形がクローズアップされているのでしょうか。
その理由としては、現代日本人の生活スタイルの変化があげられます。

「お墓を誰が、どうやって守っていくのか」
これは、お墓のことを考える上で永遠の課題といえます。戦後70年というスパンで考えると、もっとも大きく変わったのは「先祖代々の土地で暮らし、そこで人生を終える」という生活を送る人の割合が大きく減ってきたことでしょう。東京への一極集中への弊害はよく言われますが、それでも「よい学校」「大きな会社」は東京に多い、というのは、戦後70年間に日本の歴史が積み上げてきた厳然たる事実です。つまり、地方で生まれ育った人でも、人生のどこかのタイミングで東京に引っ越すことは多いでしょう。特に仕事に就くとなると、数十年という単位でそのまま東京での生活を選ぶことになります。働き方にも多様性が認められるようになりましたが、企業の東京集中という実態はなかなか変わるものではありません。進学や就職で東京に出てきた人たちは、故郷で守ってきたお墓をどうするのかを考えなければならない。お墓のお引越し=「改葬」をするにしても、お墓を新規に建立するのとプラスアルファで費用がかかりますから、金銭的な負担はかなりのものです。

しかし、亡くなった家族を身近に感じていたい、という気持ちは変わらずにあります。これは長年日本で暮らしてきたわたしたちが築いてきた慣習ですから、なかなか理屈で変えてしまうのは難しいですね。そこで、なるべく費用がかからず、しかもお墓に納骨するよりももっと身近に故人を置くことができる手元供養に注目が集まっているのです。

また、一族一家がおなじ土地で暮らさなくなったということは、別の現象も引き起こしています。例えば、ご両親がもともとの地元で暮らしていて、長男が東京、次男が九州、三男がアメリカで暮らしている……ということも、現代の生活環境ならば十分考えられることです。このケースで、仮にご両親のどちらかが亡くなられたとします。長男一家が暮らしている東京に一家のお墓を改葬したとして、次男や三男が日常的に墓参をするのは難しいことです。次男の九州に改葬しても同じこと。こういう場合に、手元供養としてご遺骨を細かく砕いてペンダントにすれば、誰もが同じように身につけることができるのです。また、長男や次男が転勤の多い仕事だった場合はどうでしょうか。地元にお墓があってもお守りするのは難しく、また改葬先も決めにくい。このような場合でも、手元供養は選択肢として上がってきます。
また、女性のお子さんで「他家にお嫁に行く」という場合。古い家族観では「一度嫁に行ったら、二度と実家の敷居はまたぐな」などと言いますが、さすがに現代でそのような発想をされる方は少ないでしょう。それでも将来的に別のお墓に入る、ということは起こりうるもの。そこで、実のご両親の縁につながる手元供養品を身につけておきたい、という考え方もあります。

お墓の問題以外でも「ご遺骨を手放したくない」と思われる場合があります。いわゆる逆縁、お子様を亡くされた親の方のことです。病気、事故、さまざまな事情がありますが、子供に先立たれ、残された親はみな深い心の傷を負います。お子様を失った悲しみ、なぜそんなことが起きてしまったのかという怒り、またご自分の存在の根幹を揺り動かすような強い喪失感。このような深刻な心の傷で自分自身を傷つけてしまわないように……と行われるのが、グリーフケアと呼ばれる精神的な癒やしです。

身近な家族を亡くす悲しみは、仮に長い病気や老衰などで心の準備があったとしても、例えようのないものです。まして自分より年若い我が子を失った悲嘆は想像するにあまりある。残されたご遺品を時には目の前から遠ざけ、時には抱きしめて撫でさするなど、心は大きく乱れます。このようなときに、故人を思うよすがとしての手元供養の品を手の届くところに置いておくことが、最終的にこの悲しみを昇華するための大きな手がかりになるのです。

急の逆縁が起きてしまった時、当事者ではなかなか手元供養のことまでは気が回らないものです。なかなか難しいことですが、親族や家族の方がこのような提案をされてはいかがでしょうか。いつまでも苦しみ続けることは、何よりも故人が最も望まないことでしょう。

また逆縁ではなくとも、長年連れ添った配偶者を急に亡くされることも、残された方にとっては大きな痛手になります。この場合にもグリーフケアは大切なことになってきます。ご夫婦間でのケアは、やはり子供たちが担うのは一番でしょう。子供の身としても親を亡くしたわけですから大きな悲しみではありますが、先立ってしまった方のためにも、残された方の悲しみを少しでもやわらげ、少しでも日常の暮らしに戻してあげる手助けができれば……と考えます。

経済的な面でも、故人との関わり方の面でも、手元供養はこれからの日本ではますます増えていくでしょう。お墓ほど形式張らず、経済負担が少なく、それでいてより故人を身近に感じられる。「お墓=家族墓」という近代的な価値観に縛られない新しいご供養のかたちを、ご家族みんながお元気なうちに考えておく……そういう選択肢もあっていいのではないでしょうか。