火葬式とは

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日本のお葬式の歴史から見た火葬

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お葬式とは、なんでしょうか。
大きな意味で見れば、これはおそらく誰もが同じ意見のはずです。つまり、「故人とのお別れの場」です。
そこに、「誰が(どこまでの範囲の人が)お別れをするか」「どのような形でお別れをするか」によって、どれだけの規模のお葬式になるか、どのような行事を行うかが決まってきます。
最近増えてきたのが、火葬式、もしくは直葬と呼ばれるミニマムサイズのお葬式です。ごくごく身近な家族だけで火葬だけを行い、法律で必要な手続きを行って終わり、というものです。最大のメリットは費用面。最近ではインターネット上でサービスを提供している会社が数多くありますが、表示されている費用は10万円を割り込むものもあります(実際には消耗品の費用や人件費などを考えると20万円程度になる場合がほとんどのようです)。このような形式が登場してきたのは、近年の葬儀が大規模で華美なものになる傾向が強く、遺族への負担が重いことがあります。結婚式もバブル期以降「地味婚」と呼ばれるシンプルな式が人気を博していますが、葬儀にもこのような傾向が出てきた、ということでしょうか。結婚式は地味婚化に続いてレストランウェディングや人前式をはじめとした、自分たちらしい個性的な結婚式を求める方向へと進化していきました。葬儀は法的な手続きや宗教的な儀式が絡むものですのでなかなか「個性的に」とはいかないのですが、それでも自分たちが望むようなやり方で人生を締めくくることを考える人たちも増えてきたようです。

現在広く行われている、火葬を儀式の中心に置いた葬儀が行われるようになったのは戦後のことで、意外に歴史は浅いものですね。火葬は仏教と共に日本に伝来し、仏教に帰依した貴族や上級武士、僧侶らは火葬を行っていましたが、ほとんどの庶民は土葬でした。なぜ火葬が広まらなかったかというと、神道や儒教では「遺体を傷つけてはいけない」という考え方があったこと、燃料にする薪が大量に必要になるために費用がかかること、遺体を骨になるまで焼くために長時間高温で焼く技術が一般的ではなかったことが挙げられます。明治時代中頃だと、火葬が行われていたのは葬儀のうち3割に過ぎないということです。面白いことに、明治新政府は明治6年に「火葬禁止令」を発布しています。これは明治新政府に強い影響力を持っていた神道の一派が、「火葬は外来宗教である仏教の風習であり、日本古来の葬儀方法である土葬を守るべきだ」と訴えたからだと言われています。この法律は2年後には廃止されますが、以降政府は葬儀について宗教的な立場ではなく、公衆衛生上の立場から考えるようになります。特に伝染病で亡くなった方を埋葬した場合など、土葬には感染症を媒介するリスクがありますから、衛生面を考えると火葬が望ましいとされています。その後地方自治体が火葬場を設立する例が増え、費用面や技術面のデメリットはなくなりました。

江戸時代までは、お寺がすべての人々を檀家として管理する「寺請制度」があり、葬儀もこの延長線上で行われていました。しかし明治時代になってこの制度が廃止され、お寺が葬儀を主催しなくなることで、葬儀屋さんが登場してきます。当初は土葬のための桶棺を作っていた桶職人たちがお棺をつくったり、葬儀道具の貸し出しを行っていたのが元だとされています。戦後になると「新生活運動」という社会運動が起こり、葬儀も簡略化しようという動きが出てきます。この運動の一環として、冠婚葬祭を請け負う「互助会」が全国各地に誕生しました。現在、葬儀業のシェアを見ると50%が専門の葬儀業者、40%ほどが互助会とされています。余談ですがこの「新生活運動」、現在ではほとんどの地方では運動は収束していますが、群馬県ではこの運動の名残が残っています。葬儀の際の贈答を簡単にしよう、というものです。お葬式の受付には「親族」「友人」などと並んで「新生活」という札がでていますので、「新生活」式で参列する場合はそちらに並びましょう。お香典は千円から二千円程度と少額で、さらに不祝儀袋には「お返しはご遠慮します」と書きます(印刷済みのものも売られているそうです)。故人とそれほど親しくない近所の方などが、この方式で参列することが多いということです。

現在では、ほぼ100%の方が火葬を行っています。2011年の東日本大震災では、あまりの犠牲者の多さと、火葬場自体も甚大な被害を受けたことから火葬場の機能が麻痺。近県の火葬場での火葬も行われましたが、宮城県内では2000人を超える犠牲者が一時的に土葬(仮埋葬)されました。これらの方々は後にすべて掘り返され、改めて火葬されたのです。遺族の方々は、仮埋葬を「冷たい土の中に埋めなければいけなかった」と嘆き、火葬できた際には涙を流して喜ばれたそうです。東北地方は全国的にも土葬の習慣が長く残り、1990年代にも土葬が行われていた地域でしたが、現代では火葬が根づいていたことが図らずもわかったことになります。

b2dc4f9f3b8c7ce13fa6672c38edbcc9_s近年、日本にもイスラム教を信仰する外国人の方が増えてきました。イスラム教では火葬は禁忌。死後にある最後の審判で楽園(天国)に行けなかった場合は、地獄に落ちて火に焼かれるとされていることから、亡くなった方の身体を火で焼くのは許しがたいことなのです。そこでムスリム(イスラム教徒)は亡くなった場合に土葬する必要があるのですが、日本は上述のようにほぼすべての墓地が火葬を前提にしています。現在山梨県にある仏教の寺院がムスリムの方のための霊園を運営していますが、費用がかかるのと日本人のムスリムを対象にした会員制であるために、外国人ムスリムの方を埋葬するのは困難な状況です。現状、ムスリムの方が亡くなられた場合は故国まで飛行機で遺体を搬送して埋葬することが多いようです。これには数十万円の費用がかかりますから、こちらもかなりハードルが高くなりますね。今後日本に定住されるムスリムの外国人の方は増えていくでしょうから、日本の習俗とどのように折り合っていくかは大切な課題といえるでしょう・

さてこのように、日本の葬儀の習俗は長い時間をかけて火葬となりました。逆にいえば、火葬は日本人の葬儀にとっての最小構成要素といえるわけです。法律上は火葬ではなく土葬を行うこともできますが、明治維新後に確立された墓地や仏壇の慣習からも、火葬が前提というのはほぼ揺るがないと思われます。そこで逆転の発想として、「火葬だけをすればいいではないか」というのが最近の火葬式のあり方です。亡くなられたら、病院から自宅や委託先の葬儀場に運び、法律で定められた24時間を過ぎるまで安置し、その後火葬場で荼毘に付してお骨にする。その間火葬許可証などの手配をする、というのが最低限の法律上の手続きですから、これだけをやればよいのです。
ただ実際に行った方からは、「やはり味気なかった」という声が上がっているのも事実。ご家族でよく考え、業者の説明などもよく受けてどういう形で葬儀を営むか、しっかり考えておく必要があるでしょう。

火葬式とは

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日本のお葬式の歴史から見た火葬

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お葬式とは、なんでしょうか。
大きな意味で見れば、これはおそらく誰もが同じ意見のはずです。つまり、「故人とのお別れの場」です。
そこに、「誰が(どこまでの範囲の人が)お別れをするか」「どのような形でお別れをするか」によって、どれだけの規模のお葬式になるか、どのような行事を行うかが決まってきます。
最近増えてきたのが、火葬式、もしくは直葬と呼ばれるミニマムサイズのお葬式です。ごくごく身近な家族だけで火葬だけを行い、法律で必要な手続きを行って終わり、というものです。最大のメリットは費用面。最近ではインターネット上でサービスを提供している会社が数多くありますが、表示されている費用は10万円を割り込むものもあります(実際には消耗品の費用や人件費などを考えると20万円程度になる場合がほとんどのようです)。このような形式が登場してきたのは、近年の葬儀が大規模で華美なものになる傾向が強く、遺族への負担が重いことがあります。結婚式もバブル期以降「地味婚」と呼ばれるシンプルな式が人気を博していますが、葬儀にもこのような傾向が出てきた、ということでしょうか。結婚式は地味婚化に続いてレストランウェディングや人前式をはじめとした、自分たちらしい個性的な結婚式を求める方向へと進化していきました。葬儀は法的な手続きや宗教的な儀式が絡むものですのでなかなか「個性的に」とはいかないのですが、それでも自分たちが望むようなやり方で人生を締めくくることを考える人たちも増えてきたようです。

現在広く行われている、火葬を儀式の中心に置いた葬儀が行われるようになったのは戦後のことで、意外に歴史は浅いものですね。火葬は仏教と共に日本に伝来し、仏教に帰依した貴族や上級武士、僧侶らは火葬を行っていましたが、ほとんどの庶民は土葬でした。なぜ火葬が広まらなかったかというと、神道や儒教では「遺体を傷つけてはいけない」という考え方があったこと、燃料にする薪が大量に必要になるために費用がかかること、遺体を骨になるまで焼くために長時間高温で焼く技術が一般的ではなかったことが挙げられます。明治時代中頃だと、火葬が行われていたのは葬儀のうち3割に過ぎないということです。面白いことに、明治新政府は明治6年に「火葬禁止令」を発布しています。これは明治新政府に強い影響力を持っていた神道の一派が、「火葬は外来宗教である仏教の風習であり、日本古来の葬儀方法である土葬を守るべきだ」と訴えたからだと言われています。この法律は2年後には廃止されますが、以降政府は葬儀について宗教的な立場ではなく、公衆衛生上の立場から考えるようになります。特に伝染病で亡くなった方を埋葬した場合など、土葬には感染症を媒介するリスクがありますから、衛生面を考えると火葬が望ましいとされています。その後地方自治体が火葬場を設立する例が増え、費用面や技術面のデメリットはなくなりました。

江戸時代までは、お寺がすべての人々を檀家として管理する「寺請制度」があり、葬儀もこの延長線上で行われていました。しかし明治時代になってこの制度が廃止され、お寺が葬儀を主催しなくなることで、葬儀屋さんが登場してきます。当初は土葬のための桶棺を作っていた桶職人たちがお棺をつくったり、葬儀道具の貸し出しを行っていたのが元だとされています。戦後になると「新生活運動」という社会運動が起こり、葬儀も簡略化しようという動きが出てきます。この運動の一環として、冠婚葬祭を請け負う「互助会」が全国各地に誕生しました。現在、葬儀業のシェアを見ると50%が専門の葬儀業者、40%ほどが互助会とされています。余談ですがこの「新生活運動」、現在ではほとんどの地方では運動は収束していますが、群馬県ではこの運動の名残が残っています。葬儀の際の贈答を簡単にしよう、というものです。お葬式の受付には「親族」「友人」などと並んで「新生活」という札がでていますので、「新生活」式で参列する場合はそちらに並びましょう。お香典は千円から二千円程度と少額で、さらに不祝儀袋には「お返しはご遠慮します」と書きます(印刷済みのものも売られているそうです)。故人とそれほど親しくない近所の方などが、この方式で参列することが多いということです。

現在では、ほぼ100%の方が火葬を行っています。2011年の東日本大震災では、あまりの犠牲者の多さと、火葬場自体も甚大な被害を受けたことから火葬場の機能が麻痺。近県の火葬場での火葬も行われましたが、宮城県内では2000人を超える犠牲者が一時的に土葬(仮埋葬)されました。これらの方々は後にすべて掘り返され、改めて火葬されたのです。遺族の方々は、仮埋葬を「冷たい土の中に埋めなければいけなかった」と嘆き、火葬できた際には涙を流して喜ばれたそうです。東北地方は全国的にも土葬の習慣が長く残り、1990年代にも土葬が行われていた地域でしたが、現代では火葬が根づいていたことが図らずもわかったことになります。

b2dc4f9f3b8c7ce13fa6672c38edbcc9_s近年、日本にもイスラム教を信仰する外国人の方が増えてきました。イスラム教では火葬は禁忌。死後にある最後の審判で楽園(天国)に行けなかった場合は、地獄に落ちて火に焼かれるとされていることから、亡くなった方の身体を火で焼くのは許しがたいことなのです。そこでムスリム(イスラム教徒)は亡くなった場合に土葬する必要があるのですが、日本は上述のようにほぼすべての墓地が火葬を前提にしています。現在山梨県にある仏教の寺院がムスリムの方のための霊園を運営していますが、費用がかかるのと日本人のムスリムを対象にした会員制であるために、外国人ムスリムの方を埋葬するのは困難な状況です。現状、ムスリムの方が亡くなられた場合は故国まで飛行機で遺体を搬送して埋葬することが多いようです。これには数十万円の費用がかかりますから、こちらもかなりハードルが高くなりますね。今後日本に定住されるムスリムの外国人の方は増えていくでしょうから、日本の習俗とどのように折り合っていくかは大切な課題といえるでしょう・

さてこのように、日本の葬儀の習俗は長い時間をかけて火葬となりました。逆にいえば、火葬は日本人の葬儀にとっての最小構成要素といえるわけです。法律上は火葬ではなく土葬を行うこともできますが、明治維新後に確立された墓地や仏壇の慣習からも、火葬が前提というのはほぼ揺るがないと思われます。そこで逆転の発想として、「火葬だけをすればいいではないか」というのが最近の火葬式のあり方です。亡くなられたら、病院から自宅や委託先の葬儀場に運び、法律で定められた24時間を過ぎるまで安置し、その後火葬場で荼毘に付してお骨にする。その間火葬許可証などの手配をする、というのが最低限の法律上の手続きですから、これだけをやればよいのです。
ただ実際に行った方からは、「やはり味気なかった」という声が上がっているのも事実。ご家族でよく考え、業者の説明などもよく受けてどういう形で葬儀を営むか、しっかり考えておく必要があるでしょう。