家族葬とは
現代人はなぜ「小さなお葬式」に惹かれるのか
ギョッとするような言葉ですが、古い世代の方々は苦笑いしながら同意していただけるのではないでしょうか。お葬式は遺族が故人とお別れをする儀式ですが、それだけにはとどまらず、社交の儀式でもあるということをよく表している言葉です。
近年の都市化と核家族化は、地域と親類縁者との交流をなるべくしたくない……というニーズの増大でもあります。そんな中で出てきたのが、家族葬、自由葬、直葬(火葬式)などと呼ばれる現代的なお葬式のあり方です。
この新しい葬儀のあり方に一石を投じたのが、NPO法人「葬送の自由をすすめる会(http://www.soso-japan.org/)」です。団体の目的は「葬送の自由を確立し、自然葬を推進、実施することによって、自然・社会・個人の「再生」をめざす活動を展開する」こと。彼らは「自然葬」という考え方を提唱し、1991年10月には相模湾で散骨を行い、注目を集めました。テレビやマスコミも一斉に報道を行い、ここから「自分たちらしいお葬式とはどういうものか」という議論が高まりました。2000年代に入ると、「自由葬」という形にとらわれないスタイルから、家族だけで見送る「家族葬」へとシフトしていきます。どんなお葬式をしたいか、故人自身が書き残しておくいわゆるエンディングノートが登場してくるのもこのころです。「故人の遺志により、ご弔問は堅くお断りします」という報せを受けて、それでもと無理やり押しかけてくる人もいないでしょう。
なぜこのような小規模なお葬式を選ぶ人が増えてきたのでしょうか。もちろん先に挙げた、煩わしい社交儀礼を避けたいということもあるでしょう。しかし一方では、日常の生活から仏教の儀式が遠くなっているということも、また十分に考えられます。これまで参列したお葬式で、お坊様が上げてくださったお経の内容をぼんやりとでも理解していた方というのはどれくらいいらっしゃるでしょうか。そこがわからなければ、「このお経、ありがたいんだろうけどどんな意味があるのかなあ。亡くなった方の役に立つのかなあ」と疑問を持ってしまうのも道理。よくわからないものにお金を払ったり、時間を費やしたりするほど現代の人々には余裕はないのです。
お金とストレスがかからないお葬式をしたい
旧来通りのお葬式をする場合、費用としてはどのようなものがかかるでしょうか。箇条書きで挙げてみましょう。
- ・会場費。飾りつけや生花など
- ・参加者やお坊様の交通費
- ・お斎の飲食費
- ・会葬御礼の品代、お知らせのハガキ、香典返し
- ・お坊様へのお布施、お車代
さらに、発生するストレスにはどのようなものがあるでしょうか。
- ・参列者への応接。故人とは交流があっても、家族とは顔見知りでない場合も多い
- ・参列者の席次。失礼にならないかどうかを考える
-
家族葬で行うことで、これらの費用、さらにこれらのストレスから解放されます。さらには、家族以外の目がないことで、遺族は思う存分悲しみ、悼み、故人とお別れをすることができます。家族の感情を第一に考えるなら、大きな利点があるといえるでしょう。ただでさえつらく悲しいときに、葬儀を行うことによって過重なストレス、重い金銭負担を負わなければならないとしたら、これほどいやなことはない……そう考える方も多いでしょう。
故人が亡くなったことを遺族が受容するためには、何よりも時間と、そして落ち着いた空気が必要です。葬儀を執り行うことでそれが削がれてしまうのであれば、小さなお葬式を行うのも十分に納得のできる選択肢だといえるでしょう。
家族葬とは
現代人はなぜ「小さなお葬式」に惹かれるのか
ギョッとするような言葉ですが、古い世代の方々は苦笑いしながら同意していただけるのではないでしょうか。お葬式は遺族が故人とお別れをする儀式ですが、それだけにはとどまらず、社交の儀式でもあるということをよく表している言葉です。
近年の都市化と核家族化は、地域と親類縁者との交流をなるべくしたくない……というニーズの増大でもあります。そんな中で出てきたのが、家族葬、自由葬、直葬(火葬式)などと呼ばれる現代的なお葬式のあり方です。
この新しい葬儀のあり方に一石を投じたのが、NPO法人「葬送の自由をすすめる会(http://www.soso-japan.org/)」です。団体の目的は「葬送の自由を確立し、自然葬を推進、実施することによって、自然・社会・個人の「再生」をめざす活動を展開する」こと。彼らは「自然葬」という考え方を提唱し、1991年10月には相模湾で散骨を行い、注目を集めました。テレビやマスコミも一斉に報道を行い、ここから「自分たちらしいお葬式とはどういうものか」という議論が高まりました。2000年代に入ると、「自由葬」という形にとらわれないスタイルから、家族だけで見送る「家族葬」へとシフトしていきます。どんなお葬式をしたいか、故人自身が書き残しておくいわゆるエンディングノートが登場してくるのもこのころです。「故人の遺志により、ご弔問は堅くお断りします」という報せを受けて、それでもと無理やり押しかけてくる人もいないでしょう。
なぜこのような小規模なお葬式を選ぶ人が増えてきたのでしょうか。もちろん先に挙げた、煩わしい社交儀礼を避けたいということもあるでしょう。しかし一方では、日常の生活から仏教の儀式が遠くなっているということも、また十分に考えられます。これまで参列したお葬式で、お坊様が上げてくださったお経の内容をぼんやりとでも理解していた方というのはどれくらいいらっしゃるでしょうか。そこがわからなければ、「このお経、ありがたいんだろうけどどんな意味があるのかなあ。亡くなった方の役に立つのかなあ」と疑問を持ってしまうのも道理。よくわからないものにお金を払ったり、時間を費やしたりするほど現代の人々には余裕はないのです。
お金とストレスがかからないお葬式をしたい
旧来通りのお葬式をする場合、費用としてはどのようなものがかかるでしょうか。箇条書きで挙げてみましょう。
- ・会場費。飾りつけや生花など
- ・参加者やお坊様の交通費
- ・お斎の飲食費
- ・会葬御礼の品代、お知らせのハガキ、香典返し
- ・お坊様へのお布施、お車代
さらに、発生するストレスにはどのようなものがあるでしょうか。
- ・参列者への応接。故人とは交流があっても、家族とは顔見知りでない場合も多い
- ・参列者の席次。失礼にならないかどうかを考える
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家族葬で行うことで、これらの費用、さらにこれらのストレスから解放されます。さらには、家族以外の目がないことで、遺族は思う存分悲しみ、悼み、故人とお別れをすることができます。家族の感情を第一に考えるなら、大きな利点があるといえるでしょう。ただでさえつらく悲しいときに、葬儀を行うことによって過重なストレス、重い金銭負担を負わなければならないとしたら、これほどいやなことはない……そう考える方も多いでしょう。
故人が亡くなったことを遺族が受容するためには、何よりも時間と、そして落ち着いた空気が必要です。葬儀を執り行うことでそれが削がれてしまうのであれば、小さなお葬式を行うのも十分に納得のできる選択肢だといえるでしょう。