アメリカの霊園事情①庭園墓地の誕生と死生観の変化

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アメリカの国土面積は約9,834平方キロメートル。ロシア、カナダに続き世界3位という広さを誇り、実に日本の約26倍という面積です。因みに人口は約2.5倍で、日本がいかに人口密集度が高い国かがわかります。
しかし、これだけの土地を保有しているにも関わらず、アメリカにおける墓地不足は非常に深刻な問題となっています。土葬という埋葬方法が長い年月で浸透していることと、特に都会での埋葬地確保が難しくなってきているためです。実は、安価ですむということから、近年の火葬率は着実に延びてきてはいます。
それでも長い間、土葬によって死者を弔ってきたのがアメリカです。土葬が根付いている理由を知ると、アメリカの墓地の在り方の移り変わりが俯瞰できると言えます。
アメリカの霊園が美しく整備されている理由と、歴史の流れを振り返って見てみましょう。同時に、アメリカ人の死生観の変遷も概観できます。

アメリカの墓地の歴史①植民地時代の墓地

まだ植民地時代だった頃のアメリカの墓地はgraveyardと呼ばれていました。字面だけなら「墓地」と訳せますが、実態は「遺体遺棄場」というおざなりなものです。スレートという薄手の岩板でできた簡素なもので、墓石は同じ方向を向いています。これは、キリスト再臨の際に死者がともに目覚めるという信仰上の理由によるものです。墓地に塀はなく、基本的な手入れもされない場合がほとんどです。生活圏の中に墓地が置かれるという環境が一般的で、墓地自体が神聖な場所として認知されていなかったことがわかります。
また、現在のアメリカはほとんどが個人墓ですが、この時代は家族墓が主流でした。時には、近隣の他の家族を一緒に埋葬したこともあったようです。
こうした墓地の形態は、イギリスの植民地であった17・18世紀を経て、約200年以上続きました。

アメリカの墓地の歴史②庭園墓地の誕生

独立後半世紀という時を経て誕生したのが、庭園墓地(garden cemetery)あるいは田園墓地(rural cemetery)です。美しく植栽され整備されたこの形態は国内に大きな墓地ブームを巻き起こし、アメリカ人の死生観自体にも大きな変化をもたらしました。
美しい自然景観を求めて郊外に建てられ、それまではなかった塀が設けられたことで墓地と生活空間の分離が意識され、「死者を悼む場所」としての位置付けが確かなものになりました。美しいモニュメントやレリーフも据えられ、まるでプロムナードを歩いているかのような感覚を得られますが、これは家族用の区画を生前販売する記念に飾るようになったことに起因します。
歴史的な伝統のないアメリカは目覚ましいスピードで墓地改革を行いますが、庭園墓地はパリにあるペール・ラシェーズ墓地がモデルにされています。フランスの墓地の中でも最も有名な墓地のひとつであり、著名人が多く眠っているということと、外観の美しさから観光地としても人気を博している有名な墓地です。ここをモデルに建てられた最初の庭園墓地が、ボストン郊外ケンブリッジにあるマウント・オーバーン霊園です。この霊園が、後に建てられる各庭園墓地のモデルとなります。
庭園墓地の特徴は以下6項目が挙げられます(※参照資料をほぼ引用しております)。

・郊外に建てられている
・周りが塀で囲まれている
・霊園の管理をする墓地監督者を置いたこと
・街の有力者が中心となり、共同出資をした主に非営利の組合が運営すること
・宗派に関わらない墓地であること
・造園家を雇って園内を英国風景庭園風にデザインしていること

アメリカの墓地の歴史③公園墓地への変遷とビジネス的意義

墓地を美しく整備するために、墓地の区画を合理的に設計するようなったり、前述したように生前販売という考え方が浸透したことにより、葬儀業界がビジネスの世界に大きく食い込むようになります。不動産や保険業界の参入によりその流れは顕著になりますが、最も大きな意味を持っているのは1917年にロサンゼルス郊外に設立されたフォレスト・ローン・メモリアル・パーク(=公園墓地)です。「死」の概念を出来る限り取り除くことに腐心したこの墓地では「死体」「遺体」という言葉を使わず、「Mr.○○」と故人の生前の名前で呼びます。また「亡くなった」という言葉を使わず、「He is taking a leave」(休暇をとっている)というように死を極めて婉曲的に表現することを徹底し、セールス・ポイントとして大きく打ち出すことに成功しました。また、管理の効率化を高めるため、墓石を芝の中に埋め込むプレート式にしたのも大きな特徴です。
庭園墓地との大きな違いは、これまで分離していた葬儀に関わる大小のビジネスを全て取り込み、葬儀の総合サービスを展開して大きな利益をもたらしたことでしょう。当然葬儀関係の各種団体との訴訟・衝突を繰り返した上での利益の獲得です。
また、フォレスト・ローン・メモリアル・パークが求めたものはもうひとつ、多機能型墓地という在り方で、共同体に奉仕する施設という考え方を発展させ一種のテーマパークとして位置付けようとしたことです。イースターやクリスマスを楽しむ場として、さらには結婚式を挙げる場としてすでに広く受け入れられ機能しています。
墓地の在り方の変遷が、死生観のそれに直結しているアメリカの霊園事情は、大きな変革を迎えつつある日本にはまだまだ受け入れるのが難しいかもしれません。しかし、死を忌まわしいものにせず、美しいものとして捉えるという考え方はとても尊く感じます。その死生観が大きく反映されているのが、エンバーミングと呼ばれる遺体処置方法です。次回の記事では、エンバーミングについて詳しく解説致します。

※専修大学HP内にて公開中の論文「アメリカの葬儀と墓地ー「アメリカ的な死の在り方」を考える」(黒沢眞里子論)

アメリカの霊園事情①庭園墓地の誕生と死生観の変化

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アメリカの国土面積は約9,834平方キロメートル。ロシア、カナダに続き世界3位という広さを誇り、実に日本の約26倍という面積です。因みに人口は約2.5倍で、日本がいかに人口密集度が高い国かがわかります。
しかし、これだけの土地を保有しているにも関わらず、アメリカにおける墓地不足は非常に深刻な問題となっています。土葬という埋葬方法が長い年月で浸透していることと、特に都会での埋葬地確保が難しくなってきているためです。実は、安価ですむということから、近年の火葬率は着実に延びてきてはいます。
それでも長い間、土葬によって死者を弔ってきたのがアメリカです。土葬が根付いている理由を知ると、アメリカの墓地の在り方の移り変わりが俯瞰できると言えます。
アメリカの霊園が美しく整備されている理由と、歴史の流れを振り返って見てみましょう。同時に、アメリカ人の死生観の変遷も概観できます。

アメリカの墓地の歴史①植民地時代の墓地

まだ植民地時代だった頃のアメリカの墓地はgraveyardと呼ばれていました。字面だけなら「墓地」と訳せますが、実態は「遺体遺棄場」というおざなりなものです。スレートという薄手の岩板でできた簡素なもので、墓石は同じ方向を向いています。これは、キリスト再臨の際に死者がともに目覚めるという信仰上の理由によるものです。墓地に塀はなく、基本的な手入れもされない場合がほとんどです。生活圏の中に墓地が置かれるという環境が一般的で、墓地自体が神聖な場所として認知されていなかったことがわかります。
また、現在のアメリカはほとんどが個人墓ですが、この時代は家族墓が主流でした。時には、近隣の他の家族を一緒に埋葬したこともあったようです。
こうした墓地の形態は、イギリスの植民地であった17・18世紀を経て、約200年以上続きました。

アメリカの墓地の歴史②庭園墓地の誕生

独立後半世紀という時を経て誕生したのが、庭園墓地(garden cemetery)あるいは田園墓地(rural cemetery)です。美しく植栽され整備されたこの形態は国内に大きな墓地ブームを巻き起こし、アメリカ人の死生観自体にも大きな変化をもたらしました。
美しい自然景観を求めて郊外に建てられ、それまではなかった塀が設けられたことで墓地と生活空間の分離が意識され、「死者を悼む場所」としての位置付けが確かなものになりました。美しいモニュメントやレリーフも据えられ、まるでプロムナードを歩いているかのような感覚を得られますが、これは家族用の区画を生前販売する記念に飾るようになったことに起因します。
歴史的な伝統のないアメリカは目覚ましいスピードで墓地改革を行いますが、庭園墓地はパリにあるペール・ラシェーズ墓地がモデルにされています。フランスの墓地の中でも最も有名な墓地のひとつであり、著名人が多く眠っているということと、外観の美しさから観光地としても人気を博している有名な墓地です。ここをモデルに建てられた最初の庭園墓地が、ボストン郊外ケンブリッジにあるマウント・オーバーン霊園です。この霊園が、後に建てられる各庭園墓地のモデルとなります。
庭園墓地の特徴は以下6項目が挙げられます(※参照資料をほぼ引用しております)。

・郊外に建てられている
・周りが塀で囲まれている
・霊園の管理をする墓地監督者を置いたこと
・街の有力者が中心となり、共同出資をした主に非営利の組合が運営すること
・宗派に関わらない墓地であること
・造園家を雇って園内を英国風景庭園風にデザインしていること

アメリカの墓地の歴史③公園墓地への変遷とビジネス的意義

墓地を美しく整備するために、墓地の区画を合理的に設計するようなったり、前述したように生前販売という考え方が浸透したことにより、葬儀業界がビジネスの世界に大きく食い込むようになります。不動産や保険業界の参入によりその流れは顕著になりますが、最も大きな意味を持っているのは1917年にロサンゼルス郊外に設立されたフォレスト・ローン・メモリアル・パーク(=公園墓地)です。「死」の概念を出来る限り取り除くことに腐心したこの墓地では「死体」「遺体」という言葉を使わず、「Mr.○○」と故人の生前の名前で呼びます。また「亡くなった」という言葉を使わず、「He is taking a leave」(休暇をとっている)というように死を極めて婉曲的に表現することを徹底し、セールス・ポイントとして大きく打ち出すことに成功しました。また、管理の効率化を高めるため、墓石を芝の中に埋め込むプレート式にしたのも大きな特徴です。
庭園墓地との大きな違いは、これまで分離していた葬儀に関わる大小のビジネスを全て取り込み、葬儀の総合サービスを展開して大きな利益をもたらしたことでしょう。当然葬儀関係の各種団体との訴訟・衝突を繰り返した上での利益の獲得です。
また、フォレスト・ローン・メモリアル・パークが求めたものはもうひとつ、多機能型墓地という在り方で、共同体に奉仕する施設という考え方を発展させ一種のテーマパークとして位置付けようとしたことです。イースターやクリスマスを楽しむ場として、さらには結婚式を挙げる場としてすでに広く受け入れられ機能しています。
墓地の在り方の変遷が、死生観のそれに直結しているアメリカの霊園事情は、大きな変革を迎えつつある日本にはまだまだ受け入れるのが難しいかもしれません。しかし、死を忌まわしいものにせず、美しいものとして捉えるという考え方はとても尊く感じます。その死生観が大きく反映されているのが、エンバーミングと呼ばれる遺体処置方法です。次回の記事では、エンバーミングについて詳しく解説致します。

※専修大学HP内にて公開中の論文「アメリカの葬儀と墓地ー「アメリカ的な死の在り方」を考える」(黒沢眞里子論)