お盆のお墓参り

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2b9a4d3b6d7fcb11f6ca067c58805184_sもういくつ寝れば盆踊り……とはもちろん言いませんが、お盆といえば日本の夏の風物詩。本来は外来宗教である仏教の行事がこれだけ定着しているところを見ると、やはり仏教は日本の国民的宗教であることに間違いはないでしょう。

さてそのお盆ですが、皆さん小さい子供や外国人の友人に「お盆ってなに?」って聞かれたときにどう応えますか? 「お盆にはご先祖様が戻ってくる」というのは模範的回答ですが、せっかくですからもうちょっとお勉強してみましょう。

ちなみに盆踊りも、もともとはご先祖様をお迎えする行事の一つだといわれています。阿波踊りやエイサーなど地方の特色のある盆踊りがたくさんあり、今では宗教行事というより夏祭りの一環として行われるようになりましたね。

もともとは梵語、「ウラバンナー」

お盆は、本来は「盂蘭盆会」といいます。これは梵語(サンスクリット語)の「ウランバナー」という言葉を漢字に写したもの。本来の意味は「地獄の責め苦から救う」となります。恐ろしげな言葉ですが、もともとは餓鬼道(六道のひとつ)に落とされた弟子の母親を、お釈迦様が供養して救ったという故事が始まりです。ここから転じて、各家庭ではご先祖様の例が帰ってくる日とされているのです。盂蘭盆会の時期は7月13日の「お盆の入り」から16日の「お盆の明け」までの4日間です。もともとはこの日付ですが、地方によっては旧暦の7月に行います。また現在では、翌月の8月15日前後にお盆の行事を行う地方が多いのではないでしょうか。

3293eb20120242aad25648ab9e52e57b_s先に「仏教の行事」といいましたが、実はお盆の行事は仏教だけとは言い切れないのです。例えば長崎でお盆の時期に行われ、非常に有名な精霊流し。これはお盆前までに亡くなった方の魂を託した船を手作りであつらえ、市内を引いて歩いて極楽浄土へ送り出すというものです。儀式には港町・長崎らしく中華風の爆竹を鳴らしたり、掛け声や鐘の音も独特。大切な儀式ではありますが、市外の方からすれば一見の価値はある、といえるお祭りでもあります。余談ですが、長崎に原爆が投下されたのは8月9日のこと。精霊流しの直前のことでしたが、被爆した方々には「家も町も焼けてしまって家族も亡くなって、自分の精霊船は誰が流してくれるのだろうか」と気にかけながら亡くなられた方もたくさんおられたということです。このことをヒントにさだまさしが書いて大ヒットになった曲が「精霊流し」。曲から受けるしんみりしたイメージとは逆に、長崎の精霊流しはなかなか派手ですから、このギャップに驚く方も多いようです。

さて、話を戻しましょう。お盆の入りの前日には仏壇を清め、ご先祖様の霊を迎える盆棚(精霊棚)を作ります。精霊棚は仏壇の前に用意します。中央にお位牌を置いて左右に燭台と盆花を飾り、手前にお線香を焚く香炉を置きます。盆花は上下逆に吊るすところもありますね。他には精霊馬と呼ばれる、きゅうりで作った馬やなすで作った牛の人形を用意しましょう。きゅうりの馬は「なるべく早く来てください」、なすの牛は「せっかくいらしたんですから、なるべくゆっくりしていってください」という意味だそうです。果物やお団子などのお供えもあるといいですね。このお団子も、お盆の入りには「お迎え団子」、お盆の明けには「送り団子」と呼びます。また、ご先祖様の霊をお迎えしている最中には「おちつき団子」と呼ぶ場合もあるようです。
お盆の入りの夕方には、戻ってくるご先祖様の霊が迷わないように、玄関や庭先でおがら(麻の茎の皮をはぎ、乾燥させたもの)を焚いて迎え火を用意します。お盆の明けには、同じように送り火を焚いて、ご先祖様をお送りしましょう。本来は、迎え火はお墓で火をつけて提灯に入れて運んでくるものということですが、現在ではなかなか難しいですね。送り火の中で有名なのは、京都五山の送り火。いわゆる大文字焼きと呼ばれるものですね。

お盆のお供養とは

人が亡くなられて初めてのお盆を、「初盆(新盆)」といいます。四十九日よりも前に初盆が来る場合は、新盆は翌年にします。新盆には親戚や友人が集まって法事を行います。お坊様を呼んでお経を上げていただき、精進料理でお斎をいただきます。故人の霊が迷わないように、お盆の期間中は提灯を軒先に吊るしたり、お仏壇の脇に飾っておきます。夜には灯りを入れて、送り火や迎え火のようにします。この盆提灯を、親戚や故人に縁が深い方が贈る風習もありますね。

お盆の時期には、お坊様はお施餓鬼法要を行います。これを略して「お施餓鬼」と呼んだりしますね。
お盆に僧侶が檀家を廻って先祖の供養を行う法要行事の際にはお施餓鬼も同時に行うため、初盆の法要以降のお盆では「お施餓鬼」として行事を行います。お施餓鬼法要や施餓鬼供養と呼ばれます。またお寺でも日にちを設けて盛大な施餓鬼法要が営まれますから、檀家はそのどちらかに参加することになります。お施餓鬼という呼び方は宗派によっても違いがあり、浄土真宗では施餓鬼は行わない考え方をとります。また曹洞宗では施すものと施されるものの間に尊卑貴賎があってはならないとして「施餓鬼」という言葉を使わず「施食会」と呼ばれます。

ご先祖様も、餓鬼道に落ちて苦しんでいるかもしれません。私達は凡夫(凡人)ですから、欲深い行いを知らず知らずの間に行って、その結果によって死後には餓鬼道の世界に落ちて苦しむかもしれません。そうした多くの人々を救うためには、今生きている私達が、餓鬼道の世界で苦しんでいる人々の為に、代わって善行を積まなければいけません。積み重ねた善行と仏様の慈愛で、餓鬼道の世界で苦しむ人々を極楽世界へと導いてもらうということを、施餓鬼と言います。

お施餓鬼は字の如く、餓鬼に施すということですから、まず水や食べ物を供え、読経回向することは当然ですが、お施餓鬼の最も大切なことは、普段から我々人間も含めたこの世に生きる全てのものに食べ物を分け与えるという心掛け、地にはう蟻から獣にまで気を配る優しさが必要だとされているのです。そうした普段からの、食べ物を大切にし、また他に施し、共に分け与えていくという日常の心掛けが、施餓鬼供養の本当の意味だと考えられているのです。

お施餓鬼は、地域や宗派により異なり、一般的にはお盆の時期に行われることが多いですが、年に二度の彼岸に行われたり、過ごしやすい気候の時期に行われることもあります。お施餓鬼の法要はお寺で日にちを設けて盛大に行われるほか、僧侶が檀家の家庭を廻って「お施餓鬼」を行う場合もあります。盛大に施餓鬼法要・施餓鬼供養を行うお寺の場合は、読経だけでなくお寺で食事をいただき檀家同士で歓談したり、お寺の僧侶や外部から招いたゲストによる法話・トークイベントが行われるなど、お寺によって内容はさまざまです。

ご先祖様のことを思う気持ちはいつも同じですが、やはりお盆の時期は特別。改めて故人をお迎えし、心静かに一年のご報告をして、またお送りしましょう。

お盆のお墓参り

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2b9a4d3b6d7fcb11f6ca067c58805184_sもういくつ寝れば盆踊り……とはもちろん言いませんが、お盆といえば日本の夏の風物詩。本来は外来宗教である仏教の行事がこれだけ定着しているところを見ると、やはり仏教は日本の国民的宗教であることに間違いはないでしょう。

さてそのお盆ですが、皆さん小さい子供や外国人の友人に「お盆ってなに?」って聞かれたときにどう応えますか? 「お盆にはご先祖様が戻ってくる」というのは模範的回答ですが、せっかくですからもうちょっとお勉強してみましょう。

ちなみに盆踊りも、もともとはご先祖様をお迎えする行事の一つだといわれています。阿波踊りやエイサーなど地方の特色のある盆踊りがたくさんあり、今では宗教行事というより夏祭りの一環として行われるようになりましたね。

もともとは梵語、「ウラバンナー」

お盆は、本来は「盂蘭盆会」といいます。これは梵語(サンスクリット語)の「ウランバナー」という言葉を漢字に写したもの。本来の意味は「地獄の責め苦から救う」となります。恐ろしげな言葉ですが、もともとは餓鬼道(六道のひとつ)に落とされた弟子の母親を、お釈迦様が供養して救ったという故事が始まりです。ここから転じて、各家庭ではご先祖様の例が帰ってくる日とされているのです。盂蘭盆会の時期は7月13日の「お盆の入り」から16日の「お盆の明け」までの4日間です。もともとはこの日付ですが、地方によっては旧暦の7月に行います。また現在では、翌月の8月15日前後にお盆の行事を行う地方が多いのではないでしょうか。

3293eb20120242aad25648ab9e52e57b_s先に「仏教の行事」といいましたが、実はお盆の行事は仏教だけとは言い切れないのです。例えば長崎でお盆の時期に行われ、非常に有名な精霊流し。これはお盆前までに亡くなった方の魂を託した船を手作りであつらえ、市内を引いて歩いて極楽浄土へ送り出すというものです。儀式には港町・長崎らしく中華風の爆竹を鳴らしたり、掛け声や鐘の音も独特。大切な儀式ではありますが、市外の方からすれば一見の価値はある、といえるお祭りでもあります。余談ですが、長崎に原爆が投下されたのは8月9日のこと。精霊流しの直前のことでしたが、被爆した方々には「家も町も焼けてしまって家族も亡くなって、自分の精霊船は誰が流してくれるのだろうか」と気にかけながら亡くなられた方もたくさんおられたということです。このことをヒントにさだまさしが書いて大ヒットになった曲が「精霊流し」。曲から受けるしんみりしたイメージとは逆に、長崎の精霊流しはなかなか派手ですから、このギャップに驚く方も多いようです。

さて、話を戻しましょう。お盆の入りの前日には仏壇を清め、ご先祖様の霊を迎える盆棚(精霊棚)を作ります。精霊棚は仏壇の前に用意します。中央にお位牌を置いて左右に燭台と盆花を飾り、手前にお線香を焚く香炉を置きます。盆花は上下逆に吊るすところもありますね。他には精霊馬と呼ばれる、きゅうりで作った馬やなすで作った牛の人形を用意しましょう。きゅうりの馬は「なるべく早く来てください」、なすの牛は「せっかくいらしたんですから、なるべくゆっくりしていってください」という意味だそうです。果物やお団子などのお供えもあるといいですね。このお団子も、お盆の入りには「お迎え団子」、お盆の明けには「送り団子」と呼びます。また、ご先祖様の霊をお迎えしている最中には「おちつき団子」と呼ぶ場合もあるようです。
お盆の入りの夕方には、戻ってくるご先祖様の霊が迷わないように、玄関や庭先でおがら(麻の茎の皮をはぎ、乾燥させたもの)を焚いて迎え火を用意します。お盆の明けには、同じように送り火を焚いて、ご先祖様をお送りしましょう。本来は、迎え火はお墓で火をつけて提灯に入れて運んでくるものということですが、現在ではなかなか難しいですね。送り火の中で有名なのは、京都五山の送り火。いわゆる大文字焼きと呼ばれるものですね。

お盆のお供養とは

人が亡くなられて初めてのお盆を、「初盆(新盆)」といいます。四十九日よりも前に初盆が来る場合は、新盆は翌年にします。新盆には親戚や友人が集まって法事を行います。お坊様を呼んでお経を上げていただき、精進料理でお斎をいただきます。故人の霊が迷わないように、お盆の期間中は提灯を軒先に吊るしたり、お仏壇の脇に飾っておきます。夜には灯りを入れて、送り火や迎え火のようにします。この盆提灯を、親戚や故人に縁が深い方が贈る風習もありますね。

お盆の時期には、お坊様はお施餓鬼法要を行います。これを略して「お施餓鬼」と呼んだりしますね。
お盆に僧侶が檀家を廻って先祖の供養を行う法要行事の際にはお施餓鬼も同時に行うため、初盆の法要以降のお盆では「お施餓鬼」として行事を行います。お施餓鬼法要や施餓鬼供養と呼ばれます。またお寺でも日にちを設けて盛大な施餓鬼法要が営まれますから、檀家はそのどちらかに参加することになります。お施餓鬼という呼び方は宗派によっても違いがあり、浄土真宗では施餓鬼は行わない考え方をとります。また曹洞宗では施すものと施されるものの間に尊卑貴賎があってはならないとして「施餓鬼」という言葉を使わず「施食会」と呼ばれます。

ご先祖様も、餓鬼道に落ちて苦しんでいるかもしれません。私達は凡夫(凡人)ですから、欲深い行いを知らず知らずの間に行って、その結果によって死後には餓鬼道の世界に落ちて苦しむかもしれません。そうした多くの人々を救うためには、今生きている私達が、餓鬼道の世界で苦しんでいる人々の為に、代わって善行を積まなければいけません。積み重ねた善行と仏様の慈愛で、餓鬼道の世界で苦しむ人々を極楽世界へと導いてもらうということを、施餓鬼と言います。

お施餓鬼は字の如く、餓鬼に施すということですから、まず水や食べ物を供え、読経回向することは当然ですが、お施餓鬼の最も大切なことは、普段から我々人間も含めたこの世に生きる全てのものに食べ物を分け与えるという心掛け、地にはう蟻から獣にまで気を配る優しさが必要だとされているのです。そうした普段からの、食べ物を大切にし、また他に施し、共に分け与えていくという日常の心掛けが、施餓鬼供養の本当の意味だと考えられているのです。

お施餓鬼は、地域や宗派により異なり、一般的にはお盆の時期に行われることが多いですが、年に二度の彼岸に行われたり、過ごしやすい気候の時期に行われることもあります。お施餓鬼の法要はお寺で日にちを設けて盛大に行われるほか、僧侶が檀家の家庭を廻って「お施餓鬼」を行う場合もあります。盛大に施餓鬼法要・施餓鬼供養を行うお寺の場合は、読経だけでなくお寺で食事をいただき檀家同士で歓談したり、お寺の僧侶や外部から招いたゲストによる法話・トークイベントが行われるなど、お寺によって内容はさまざまです。

ご先祖様のことを思う気持ちはいつも同じですが、やはりお盆の時期は特別。改めて故人をお迎えし、心静かに一年のご報告をして、またお送りしましょう。