お墓のデザイン〜お墓にも新しい潮流

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和型墓石:仏教式と神道式

お墓、墓石のデザインには大別すると「和型」と「洋型」があります。洋型のうち、特にデザイン性が高いものを「デザイン型」と呼ぶ場合もありますね。

和型墓石いわゆる和型、詳しくは和型三段墓と呼ばれる現在一般的なお墓。竿石(「◯◯家先祖代々之墓」などと刻まれている石)が上台、中台、芝台という三つの台石の上に据えられています。他に、お墓に納められている方の戒名、俗名、没年などを刻んだ「墓誌」や、供花を飾るための花台、香炉などもセットになっています。
和型三段墓が作られはじめたのは江戸時代後期と言われていますが、このスタイルが庶民にまで定着してきたのは戦後といってもいいでしょう。そもそも家族がひとつのお墓に入る「家族墓」が主流になったのは明治以降ですから、我々が想像している形の「お墓」という形式自体、歴史的な視点にたてばごく最近のものなのです。
和型三段墓は仏教の仏舎利塔(仏様のお骨を納める塔)や五輪塔(地・水・火・風・空という、仏教の考え方での世界を構成する五大要素)を模して作られたものです。五輪塔はお墓にも用いられます。一番下が四角い直方体の地輪。次に球形の水輪、屋根のような形の火輪があり、さらに半球形の風輪、一番上に玉ねぎ型の空輪」が乗って、五輪塔となります。

仏教式と比べると数は少ないですが、神道式の墓石も和型と言えるでしょう。徳川慶喜の亀形墓など、明治期には一風変わった神道式のお墓もありました。現在では、角柱型の墓碑を建てる場合もありますが、和型三段墓と近い形のお墓がほとんどです。「仏様になる」とする仏教とは違い、神道では死を「穢れ」としてとらえます。そのため、お寺には寺院墓地がありますが、神社の境内にお墓がある、ということはありません。ですから、神道を信奉される方は一般の「宗教・宗派不問」の霊園を求める必要があります。
bfe8248c77c5378d2b595a05f916ec48_l形式として特徴的なのは、墓石の頂点部分でしょう。神道系の行者・山伏が額につける兜巾(ときん)というものがあります。歌舞伎や狂言の「勧進帳」の舞台で、武蔵坊弁慶が額につけている黒い六角形のもの、あれが兜巾です。神道式の墓石は、頂点が「兜巾型」といい、あの六角形を模して角がつけられているのです。仏教式の場合は四角柱の一番上はそのまま四角形だったり角を丸く加工してある程度ですが、そこにハッキリ角度をつけて研磨してあるのが神道式です。

洋形墓石とデザイン墓石

洋型墓石_オルガン型さて、一方の洋型墓石です。仏式と神式が和型墓石だとすると、洋型ならばキリスト教でしょうか。キリスト教のお墓には、根本的に仏教と違うところがあります。仏教ではお墓を建てること自体が「故人への供養」であり、お墓はその後お花を供えたりお線香を上げることで供養をするためのものでもあります。キリスト教では、故人が「成仏」したり、故人を供養するという考え方はありません。キリスト教では亡くなった方は天国に召されます。ではお墓はどういうものかというと、生きている人々が故人に思いを馳せるためのよすが、という位置づけになります。
ではキリスト教に入信すると、これまで先祖代々守ってきた一族のお墓を捨てなければいけないのか?という疑問を持つ方は大勢いらっしゃいます。ですが、ほとんどのキリスト教の宗派ではそこまで要求されることはありません。キリスト教の信仰は個人個人のもので、日本でいう家族制度や家制度の習慣とは関わりがありません。それまでと同様、家族のお墓の永代供養料や管理料をお寺や霊園に払い続けても大丈夫です。
54ee5da42ed8c484e32b683ea44ac499_sちなみに、現在のキリスト教ではお墓についての定めはありませんが、旧約聖書には遺骨や埋葬について触れられている部分もあります。エジプト人の手を逃れてヘブライ人たちを導き、神の力を借りて海を割ったといわれるモーセは、約束の地・カナンに赴く旅の間、一族の先祖にあたるヨセフの骨を携えていました。ヨセフは「自分の骨はかならずカナンの地に埋葬してくれ」と言い残したといいますが、その遺言は400年の時を経て、モーセの後継者ヨシュアの手によって果たされます。
さて、キリスト教のお墓についてです。アメリカの映画を見ると、キリスト教の墓地は緑の芝生に白い平らな石の墓碑、というイメージがありますね。ヨーロッパだと、教会の裏手に古い十字架型の墓石が並んでいる印象でしょうか。日本のクリスチャンの方々は、公営や民営の霊園にお墓を建てる必要がある場合がほとんどなため、これらのようなイメージのお墓は建てない場合がほとんどです。また一部の教会では納骨堂を運営していますので、こちらに納骨される方もおられます。
霊園を見渡して、一見してキリスト教の方の墓石だな、とわかるのは聖句を刻んだものでしょうか。これは洋型というよりもデザイン型墓石というイメージですが、聖書を開いたモチーフの墓石の上に、故人の方が好きだった、もしくは故人の人柄を表すような聖書の一節や、賛美歌の歌詞を刻みます。仏教に葬儀や法要でよく上げられるお経があるように、キリスト教にも葬儀の際に読まれる聖句や聖書の一節、賛美歌がありますが、墓石に刻むのはあくまで故人にまつわるもの、という場合が多いようです。

近年宗教・宗派を問わず増えているのがデザイン型墓石です。先のキリスト教の方のための聖書型の墓石をはじめとして、球型、オルガン型と呼ばれる台形のもの、その他さまざまな形の墓石を作ることができるようになりました。サッカーボールやラグビーボール、楽器や楽譜など故人が好きだったものを象徴する墓石もあります。また、従来の和型墓石のテイストを残しつつ、竿石の部分を幅広く取って文字を刻むスペースをとるものなど、折衷型といえるような墓石も増えてきました。
これだけデザイン型墓石が浸透しつつある原因は石工技術の進歩もありますが、やはり人々のお墓に対する意識が変化しているためでしょう。なお、寺院墓地の場合はデザイン型墓石は認められない場合がありますから、ご注意ください。

石材店のウェブサイトやカタログには、さまざまなデザイン型墓石、和型・洋型の墓石が掲載されています。ずっと眺めていると、「お墓はなんのために作るのか」「誰のためのものなのか」など、さまざまな思いが胸の内を去来することでしょう。家族墓の伝統が薄れつつある今の日本では、そのお墓に入るであろう人に合わせたお墓、という考え方が主流になりつつあります。お墓や埋葬についての考え方は移り変わっていきますが、今のところ法律として亡くなられた方は火葬または埋葬しなければいけない、ということ自体は変わっていません。その限りにおいてお墓が不要になるということはありませんから、できるだけ皆さんの思いを生かせるようなお墓を建てられることをお祈りしております。

お墓のデザイン〜お墓にも新しい潮流

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和型墓石:仏教式と神道式

お墓、墓石のデザインには大別すると「和型」と「洋型」があります。洋型のうち、特にデザイン性が高いものを「デザイン型」と呼ぶ場合もありますね。

和型墓石いわゆる和型、詳しくは和型三段墓と呼ばれる現在一般的なお墓。竿石(「◯◯家先祖代々之墓」などと刻まれている石)が上台、中台、芝台という三つの台石の上に据えられています。他に、お墓に納められている方の戒名、俗名、没年などを刻んだ「墓誌」や、供花を飾るための花台、香炉などもセットになっています。
和型三段墓が作られはじめたのは江戸時代後期と言われていますが、このスタイルが庶民にまで定着してきたのは戦後といってもいいでしょう。そもそも家族がひとつのお墓に入る「家族墓」が主流になったのは明治以降ですから、我々が想像している形の「お墓」という形式自体、歴史的な視点にたてばごく最近のものなのです。
和型三段墓は仏教の仏舎利塔(仏様のお骨を納める塔)や五輪塔(地・水・火・風・空という、仏教の考え方での世界を構成する五大要素)を模して作られたものです。五輪塔はお墓にも用いられます。一番下が四角い直方体の地輪。次に球形の水輪、屋根のような形の火輪があり、さらに半球形の風輪、一番上に玉ねぎ型の空輪」が乗って、五輪塔となります。

仏教式と比べると数は少ないですが、神道式の墓石も和型と言えるでしょう。徳川慶喜の亀形墓など、明治期には一風変わった神道式のお墓もありました。現在では、角柱型の墓碑を建てる場合もありますが、和型三段墓と近い形のお墓がほとんどです。「仏様になる」とする仏教とは違い、神道では死を「穢れ」としてとらえます。そのため、お寺には寺院墓地がありますが、神社の境内にお墓がある、ということはありません。ですから、神道を信奉される方は一般の「宗教・宗派不問」の霊園を求める必要があります。
bfe8248c77c5378d2b595a05f916ec48_l形式として特徴的なのは、墓石の頂点部分でしょう。神道系の行者・山伏が額につける兜巾(ときん)というものがあります。歌舞伎や狂言の「勧進帳」の舞台で、武蔵坊弁慶が額につけている黒い六角形のもの、あれが兜巾です。神道式の墓石は、頂点が「兜巾型」といい、あの六角形を模して角がつけられているのです。仏教式の場合は四角柱の一番上はそのまま四角形だったり角を丸く加工してある程度ですが、そこにハッキリ角度をつけて研磨してあるのが神道式です。

洋形墓石とデザイン墓石

洋型墓石_オルガン型さて、一方の洋型墓石です。仏式と神式が和型墓石だとすると、洋型ならばキリスト教でしょうか。キリスト教のお墓には、根本的に仏教と違うところがあります。仏教ではお墓を建てること自体が「故人への供養」であり、お墓はその後お花を供えたりお線香を上げることで供養をするためのものでもあります。キリスト教では、故人が「成仏」したり、故人を供養するという考え方はありません。キリスト教では亡くなった方は天国に召されます。ではお墓はどういうものかというと、生きている人々が故人に思いを馳せるためのよすが、という位置づけになります。
ではキリスト教に入信すると、これまで先祖代々守ってきた一族のお墓を捨てなければいけないのか?という疑問を持つ方は大勢いらっしゃいます。ですが、ほとんどのキリスト教の宗派ではそこまで要求されることはありません。キリスト教の信仰は個人個人のもので、日本でいう家族制度や家制度の習慣とは関わりがありません。それまでと同様、家族のお墓の永代供養料や管理料をお寺や霊園に払い続けても大丈夫です。
54ee5da42ed8c484e32b683ea44ac499_sちなみに、現在のキリスト教ではお墓についての定めはありませんが、旧約聖書には遺骨や埋葬について触れられている部分もあります。エジプト人の手を逃れてヘブライ人たちを導き、神の力を借りて海を割ったといわれるモーセは、約束の地・カナンに赴く旅の間、一族の先祖にあたるヨセフの骨を携えていました。ヨセフは「自分の骨はかならずカナンの地に埋葬してくれ」と言い残したといいますが、その遺言は400年の時を経て、モーセの後継者ヨシュアの手によって果たされます。
さて、キリスト教のお墓についてです。アメリカの映画を見ると、キリスト教の墓地は緑の芝生に白い平らな石の墓碑、というイメージがありますね。ヨーロッパだと、教会の裏手に古い十字架型の墓石が並んでいる印象でしょうか。日本のクリスチャンの方々は、公営や民営の霊園にお墓を建てる必要がある場合がほとんどなため、これらのようなイメージのお墓は建てない場合がほとんどです。また一部の教会では納骨堂を運営していますので、こちらに納骨される方もおられます。
霊園を見渡して、一見してキリスト教の方の墓石だな、とわかるのは聖句を刻んだものでしょうか。これは洋型というよりもデザイン型墓石というイメージですが、聖書を開いたモチーフの墓石の上に、故人の方が好きだった、もしくは故人の人柄を表すような聖書の一節や、賛美歌の歌詞を刻みます。仏教に葬儀や法要でよく上げられるお経があるように、キリスト教にも葬儀の際に読まれる聖句や聖書の一節、賛美歌がありますが、墓石に刻むのはあくまで故人にまつわるもの、という場合が多いようです。

近年宗教・宗派を問わず増えているのがデザイン型墓石です。先のキリスト教の方のための聖書型の墓石をはじめとして、球型、オルガン型と呼ばれる台形のもの、その他さまざまな形の墓石を作ることができるようになりました。サッカーボールやラグビーボール、楽器や楽譜など故人が好きだったものを象徴する墓石もあります。また、従来の和型墓石のテイストを残しつつ、竿石の部分を幅広く取って文字を刻むスペースをとるものなど、折衷型といえるような墓石も増えてきました。
これだけデザイン型墓石が浸透しつつある原因は石工技術の進歩もありますが、やはり人々のお墓に対する意識が変化しているためでしょう。なお、寺院墓地の場合はデザイン型墓石は認められない場合がありますから、ご注意ください。

石材店のウェブサイトやカタログには、さまざまなデザイン型墓石、和型・洋型の墓石が掲載されています。ずっと眺めていると、「お墓はなんのために作るのか」「誰のためのものなのか」など、さまざまな思いが胸の内を去来することでしょう。家族墓の伝統が薄れつつある今の日本では、そのお墓に入るであろう人に合わせたお墓、という考え方が主流になりつつあります。お墓や埋葬についての考え方は移り変わっていきますが、今のところ法律として亡くなられた方は火葬または埋葬しなければいけない、ということ自体は変わっていません。その限りにおいてお墓が不要になるということはありませんから、できるだけ皆さんの思いを生かせるようなお墓を建てられることをお祈りしております。