ひな人形の供養

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みんな大好き、歴史と共に歩んできたお人形さん

bc8844638e81b3afc7b29e107ea86a91_s日本だけにとどまらず、多くの文化圏では人形を大切にする信仰や風習がありました。
古墳時代の日本には、土で作った焼き物の人形がありました。いわゆる土偶ですね。有名な遮光器土偶をはじめ、女性の形をした土偶、武装した男性の土偶、馬の土偶などさまざまな形のものがありました。古代ギリシャでは、タナグラ人形と呼ばれる人形を作っていました。型に粘土をいれておおよその形を作り、型から出して彫刻を施し、白い下地を塗って焼きます。焼きあがったものに着色すれば出来上がり。2000年以上前のものとは思えないほどのクオリティで、近代ヨーロッパで流行した時には偽物がたくさんでたそうです。

時代が下って近代になってくると、信仰や伝承と関係する人形も登場します。たとえばカトリックを信仰する国々では、クリスマスを祝うときにイエス・キリストの誕生を祝いに来た東方の三博士(ちなみに日本語だと「博士」と訳する場合が多いですが、原語は「魔術師」と訳する方が正解のようです)や、キリストの誕生を最初に祝った羊飼いの人形を飾ります。
e5f1d300f6bf1ac32326e7f722e3cf9c_sサンタクロースはもともとはローマ時代の聖者・聖ニコライの伝説です。貧しい人を助けてくれる、という信仰がいつの間にかクリスマスイブにプレゼントをくれることになったり、煙突から入ってくることになったり、赤い服を着ていることになったり(この赤はコカ・コーラのコーポレートカラーです)と時代によってさまざまな変遷を遂げましたが、サンタさんの人形は世界中で愛されていますね。日本でも最近は、ハロウィンが終わるとサンタクロースとひいらぎの葉の飾りが街にあふれます。このように、伝説や信仰上の登場人物をかたどった人形をさまざまなイベントなどで飾り、お祭りに花を添えます。ちょっと毛色が変わったところでは、イギリスでは「ガイ・フォークスの火祭り」という男性の人形を縛って町中を引きまわし、最後にかがり火で燃やして花火を上げるお祭りがあります。これはイギリス国王に対して爆弾テロを計画したガイ・フォークスという男のたくらみを未然に防いだことを記念するお祭りです。
日本では、厳密には人形とはいいづらいですが、神道などで「人形(ひとがた)」と呼ばれる和紙の人形を作り、これに神様が宿るとしてお祓いに使います。
c653dc776cc1d4807fae7601f4881586_sそして、この分野で日本でもっとも存在感があるのが「ひな人形」でしょう。
ひな祭りはそもそも厄除けの神事で、人形を船に乗せて海に流すならわしが元だったといいます。そこに中国伝来の「曲水の宴」という庭に作った川に盃を流して和歌を詠む遊び、人形遊びなどの要素が加わって、今のひな祭りが成立したのだといいます。民俗学では人形には3つの役割があるといわれています。遊びに使う玩具、信仰の対象とする聖像、自分のけがれを託す依代。ひな人形も最初は依代の要素が極めて強かったといいます。源氏物語の中で、光源氏が海に流した人形(ひとがた)は自分の身代わりにあたります。身体にこすりつけ、息を吹きかけて自分のケガレや災厄を託して水辺に捨てるのが当時の風習でした。時代が下って室町時代の公家、万里小路(までのこうじ)時房が著した「建内記」では3月3日にひな人形が贈られた様子が記されている。この人形は捨てずにお寺で祈祷してもらい、翌年も使ったといいます。
 内裏びな、京びななど、美術工芸品として現在でも知られているひな人形が盛んになっていったのは江戸中期から。幕府が3月3日を公的な行事・祝日である「五節句」の1つに定めたことがひな祭りを後押ししたといいます。大名や豪商・豪農らが華麗なひな人形を飾るようになりました。それでも、本来のけがれをお祓いするという要素は消えずに残ります。「ひな祭りのお祝いが終わればひな人形を早めにしまえ」という風習は今でもありますが、けがれを移したものを長く置いておかないようにするためだった、と考えられているのです。

また、愛玩物としての人形の歴史もたいへん長いものです。
日本では博多人形、市松人形など美術品としても価値のあるものや、当時の技術の粋を尽くしたからくり人形。ヨーロッパではビスクドールという美しい陶器の人形が19世紀に上流階級の貴婦人や令嬢の間で流行しました。当時の人形は今では骨董品扱いで、数万ドルで取引される例もあるようです。団塊の世代以降の皆さんは、リカちゃん人形やバービー人形で遊んだ人たちも多いでしょう。それより時代が下ると、(人間ではないですが)シルバニアファミリーもありました。そして現代日本では、アニメや漫画に登場するキャラクターを模したファギュアが人気ですね。
このように、人間の歴史と人形の歴史は重なり合って進化を続けてきたのです。

人形を供養するには

さて、精巧で人間そっくりな人形が年を経ると、なんだか夜中に目が動いたり、髪の毛が伸びたりするような気がしませんか? そんな怪談話を聞いたことがある方も多いと思います。それだけ、人形を大事にして、そこに思いを込める人というのは多いものです。

f39383e040dd4099f47532dbe2ab32d0_sその人形を手放すとき、また人形の持ち主が不幸にして亡くなられたときに人形に込められた思いをどうするのか、というときに出てくるのが「人形供養」です。
人形供養は、持ち主が大切にしてきた人形に感謝の気持ちを込めて供養するものです。長い年月に渡って大切にされた人形には魂が宿ると昔からいわれております。きちんと置いていても数日経ったら向きが変わったとか、髪が自然に伸びたとか、普通の常識では理解できないこともよく耳にします。そこで人形の魂が安らかであることを願って、感謝の気持ちを込めて行うのが人形供養です。対象はひな人形、五月人形、ぬいぐるみ、その他のおもちゃになります。

物言わぬ人形たちですが、家族の一員として共に寄り添い様々な場面で子供の成長を見守ってくれたことでしょう。
「子供の頃からの思い出多い人形をゴミとして出すには忍びない」このように思う方は増えてきました。兄弟がたくさんいた時代、近所に子供たちがたくさんいた時代であれば、お人形はいつのまにか弟や妹、年下のいとこ、ご近所の子供たちにお下がりで渡っていったものですが、少子化・核家族化が進んだ現代ではいつまでも手元に残るもの。

お坊様が読経して供養をすることで、持ち主の感謝の気持ちを人形に伝えます。感謝の気持ちで「人形」の魂を抜き「物」へと返す、「御芯抜き」の儀式を行うことがが人形供養です。
人形供養で「御芯抜き」をしてから、人形をお焚きあげします。お焚きあげすることで厄も払われるのです。

故人への供養は故人のためなのはもちろん、残された遺族のためだというお話は何度かしました。この人形供養も、また手放そうとする持ち主のためのものだ、といってもいいかもしれません。

ひな人形の供養

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みんな大好き、歴史と共に歩んできたお人形さん

bc8844638e81b3afc7b29e107ea86a91_s日本だけにとどまらず、多くの文化圏では人形を大切にする信仰や風習がありました。
古墳時代の日本には、土で作った焼き物の人形がありました。いわゆる土偶ですね。有名な遮光器土偶をはじめ、女性の形をした土偶、武装した男性の土偶、馬の土偶などさまざまな形のものがありました。古代ギリシャでは、タナグラ人形と呼ばれる人形を作っていました。型に粘土をいれておおよその形を作り、型から出して彫刻を施し、白い下地を塗って焼きます。焼きあがったものに着色すれば出来上がり。2000年以上前のものとは思えないほどのクオリティで、近代ヨーロッパで流行した時には偽物がたくさんでたそうです。

時代が下って近代になってくると、信仰や伝承と関係する人形も登場します。たとえばカトリックを信仰する国々では、クリスマスを祝うときにイエス・キリストの誕生を祝いに来た東方の三博士(ちなみに日本語だと「博士」と訳する場合が多いですが、原語は「魔術師」と訳する方が正解のようです)や、キリストの誕生を最初に祝った羊飼いの人形を飾ります。
e5f1d300f6bf1ac32326e7f722e3cf9c_sサンタクロースはもともとはローマ時代の聖者・聖ニコライの伝説です。貧しい人を助けてくれる、という信仰がいつの間にかクリスマスイブにプレゼントをくれることになったり、煙突から入ってくることになったり、赤い服を着ていることになったり(この赤はコカ・コーラのコーポレートカラーです)と時代によってさまざまな変遷を遂げましたが、サンタさんの人形は世界中で愛されていますね。日本でも最近は、ハロウィンが終わるとサンタクロースとひいらぎの葉の飾りが街にあふれます。このように、伝説や信仰上の登場人物をかたどった人形をさまざまなイベントなどで飾り、お祭りに花を添えます。ちょっと毛色が変わったところでは、イギリスでは「ガイ・フォークスの火祭り」という男性の人形を縛って町中を引きまわし、最後にかがり火で燃やして花火を上げるお祭りがあります。これはイギリス国王に対して爆弾テロを計画したガイ・フォークスという男のたくらみを未然に防いだことを記念するお祭りです。
日本では、厳密には人形とはいいづらいですが、神道などで「人形(ひとがた)」と呼ばれる和紙の人形を作り、これに神様が宿るとしてお祓いに使います。
c653dc776cc1d4807fae7601f4881586_sそして、この分野で日本でもっとも存在感があるのが「ひな人形」でしょう。
ひな祭りはそもそも厄除けの神事で、人形を船に乗せて海に流すならわしが元だったといいます。そこに中国伝来の「曲水の宴」という庭に作った川に盃を流して和歌を詠む遊び、人形遊びなどの要素が加わって、今のひな祭りが成立したのだといいます。民俗学では人形には3つの役割があるといわれています。遊びに使う玩具、信仰の対象とする聖像、自分のけがれを託す依代。ひな人形も最初は依代の要素が極めて強かったといいます。源氏物語の中で、光源氏が海に流した人形(ひとがた)は自分の身代わりにあたります。身体にこすりつけ、息を吹きかけて自分のケガレや災厄を託して水辺に捨てるのが当時の風習でした。時代が下って室町時代の公家、万里小路(までのこうじ)時房が著した「建内記」では3月3日にひな人形が贈られた様子が記されている。この人形は捨てずにお寺で祈祷してもらい、翌年も使ったといいます。
 内裏びな、京びななど、美術工芸品として現在でも知られているひな人形が盛んになっていったのは江戸中期から。幕府が3月3日を公的な行事・祝日である「五節句」の1つに定めたことがひな祭りを後押ししたといいます。大名や豪商・豪農らが華麗なひな人形を飾るようになりました。それでも、本来のけがれをお祓いするという要素は消えずに残ります。「ひな祭りのお祝いが終わればひな人形を早めにしまえ」という風習は今でもありますが、けがれを移したものを長く置いておかないようにするためだった、と考えられているのです。

また、愛玩物としての人形の歴史もたいへん長いものです。
日本では博多人形、市松人形など美術品としても価値のあるものや、当時の技術の粋を尽くしたからくり人形。ヨーロッパではビスクドールという美しい陶器の人形が19世紀に上流階級の貴婦人や令嬢の間で流行しました。当時の人形は今では骨董品扱いで、数万ドルで取引される例もあるようです。団塊の世代以降の皆さんは、リカちゃん人形やバービー人形で遊んだ人たちも多いでしょう。それより時代が下ると、(人間ではないですが)シルバニアファミリーもありました。そして現代日本では、アニメや漫画に登場するキャラクターを模したファギュアが人気ですね。
このように、人間の歴史と人形の歴史は重なり合って進化を続けてきたのです。

人形を供養するには

さて、精巧で人間そっくりな人形が年を経ると、なんだか夜中に目が動いたり、髪の毛が伸びたりするような気がしませんか? そんな怪談話を聞いたことがある方も多いと思います。それだけ、人形を大事にして、そこに思いを込める人というのは多いものです。

f39383e040dd4099f47532dbe2ab32d0_sその人形を手放すとき、また人形の持ち主が不幸にして亡くなられたときに人形に込められた思いをどうするのか、というときに出てくるのが「人形供養」です。
人形供養は、持ち主が大切にしてきた人形に感謝の気持ちを込めて供養するものです。長い年月に渡って大切にされた人形には魂が宿ると昔からいわれております。きちんと置いていても数日経ったら向きが変わったとか、髪が自然に伸びたとか、普通の常識では理解できないこともよく耳にします。そこで人形の魂が安らかであることを願って、感謝の気持ちを込めて行うのが人形供養です。対象はひな人形、五月人形、ぬいぐるみ、その他のおもちゃになります。

物言わぬ人形たちですが、家族の一員として共に寄り添い様々な場面で子供の成長を見守ってくれたことでしょう。
「子供の頃からの思い出多い人形をゴミとして出すには忍びない」このように思う方は増えてきました。兄弟がたくさんいた時代、近所に子供たちがたくさんいた時代であれば、お人形はいつのまにか弟や妹、年下のいとこ、ご近所の子供たちにお下がりで渡っていったものですが、少子化・核家族化が進んだ現代ではいつまでも手元に残るもの。

お坊様が読経して供養をすることで、持ち主の感謝の気持ちを人形に伝えます。感謝の気持ちで「人形」の魂を抜き「物」へと返す、「御芯抜き」の儀式を行うことがが人形供養です。
人形供養で「御芯抜き」をしてから、人形をお焚きあげします。お焚きあげすることで厄も払われるのです。

故人への供養は故人のためなのはもちろん、残された遺族のためだというお話は何度かしました。この人形供養も、また手放そうとする持ち主のためのものだ、といってもいいかもしれません。