霊園と墓地の違いとは?

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お寺が管理するのが「寺院墓地」、自治体や公益法人が管理するのが「自由霊園」

ohakaひとことで「お墓」とくくってしまいがちですが、日本のお墓には大きく分けて「墓地」「霊園」「納骨堂」があります。ここでは、「霊園」と「墓地」の区別について考えてみましょう。
「墓地」とは実は広い意味をとれる言葉で、広義にいえば「お墓がたくさん集まっているところ」が墓地ということになります。これには霊園はもちろん納骨堂も含んでしまいますから、今回は狭い意味で「墓地」という言葉をとらえてみます。
「霊園」と対比させて「墓地」という言葉を使う場合は、「寺院墓地」のことを指します。読んで字の通り、お寺が管理する墓地のことです。基本的には、そのお寺の檀家さんがお墓を建てることができ、お墓は代々の住職により手厚く供養されます。多くの日本人がまずイメージするお墓はこの「墓地」ではないでしょうか。家単位で墓を建て、竿石に「○○家先祖代々之墓」などと彫り込んで、一家の関係者に亡くなる方が出ると、葬儀のあとにここに納められる。お彼岸とお盆には一族で集まってお参りをする……。明治時代以降、「家族墓」というスタイルが生まれ、このような「墓地」が一般的になりました。

では、「霊園」とは何でしょうか。「墓地」を管理するのが寺院であるのに対し、「霊園」は、都道府県や市町村などの地方自治体や、非営利の公益法人、宗教法人などが管理しています。墓地や霊園は、法律(墓地、埋葬等に関する法律施行細則)で事業として収益を上げることが認められていないため、一般の企業が経営・管理することはできないのです。
また、もっと大きな違いとしては、宗教・宗派の制限が厳しくないことがあります。寺院墓地はお寺の檀家さんが眠っているという性質上、そのお寺の宗派に属している人でないと入るのは難しい場合がほとんど。しかし「霊園」では、その制限が非常に緩やかです。地方自治体が管理している霊園は無宗教・無宗派が原則ですし、民間の法人の霊園でも、寺院墓地に比べればほとんど制限はないといっていいでしょう。
霊園の歴史は、明治維新の時代にはじまります。以前の記事「神道のお墓とは?」でも書いたように、江戸時代はお寺が檀家制度を通じて住民の管理までを行っていました。明治時代にその体制が崩れ、また仏教以外の形式のお墓を持ちたいというニーズが高まってきたのです。そこで、政府は東京に青山霊園、多磨霊園、谷中霊園など、宗教や宗派に関係なく、だれでもお墓を建てられる場所を作りました。これが「霊園」のはじまりです。政府が作った霊園は、今では東京都が管理しています。ここには明治時代から現代までさまざまな著名人が眠っています。政治家、華族、軍人から実業家、芸術家、俳優に至るまで、その顔触れはさまざま。宗教は問わないので、思想信条として無宗教を選んだ人や、キリスト教やイスラム教を信じる外国人のお墓もあります。

増える「霊園」は、自由なお参りの要望から?

さて、「墓地」と「霊園」の違いを簡単に見てきました。それでは、「墓地」と「霊園」は今どちらが多いのでしょうか?
近年開発されているお墓は、圧倒的に「霊園」が多いのです。管理母体としてお寺が宗教法人としてかかわっている場合も多いのですが、スタイルとしては宗教・宗派の制限が少ない「霊園」がほとんど。また、寺院墓地から霊園に模様替えするお寺も増えています。やはり檀家制度が今の時代にそぐわなくなってきたこともありますが、戦後東京に人口が集中したためにお寺にご縁がない人たちが増えたこと、また以前の慣習にとらわれたくないと思う人たちが増えたことによるのでしょう。「団塊の世代」が60代を過ぎ、お墓について考えることが多くなってきたことが、大きな原因になっていると思われます。
戦後の時代を生き抜き、社会の舵取りをしてきた団塊の世代は、生活スタイルや文化に大きな変化を与えてきました。その影響が、いよいよお墓にも及んできたといえるのではないでしょうか。団塊以降の世代は、より自由な形でお墓をとらえることができることでしょう。墓石の変化については以前の記事「お墓を建てるときに」でも触れましたが、それぞれのお墓だけではなく、故人が眠る場としての「墓地」「霊園」というもの自体、大きく変わる時代を迎えています。

おすすめのサイト:
東京・埼玉・神奈川・千葉の一般霊園は”セントソフィアシリーズ”
自然の美しい東京の墓地・霊園なら 小平聖地公園セントソフィア

霊園と墓地の違いとは?

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お寺が管理するのが「寺院墓地」、自治体や公益法人が管理するのが「自由霊園」

ohakaひとことで「お墓」とくくってしまいがちですが、日本のお墓には大きく分けて「墓地」「霊園」「納骨堂」があります。ここでは、「霊園」と「墓地」の区別について考えてみましょう。
「墓地」とは実は広い意味をとれる言葉で、広義にいえば「お墓がたくさん集まっているところ」が墓地ということになります。これには霊園はもちろん納骨堂も含んでしまいますから、今回は狭い意味で「墓地」という言葉をとらえてみます。
「霊園」と対比させて「墓地」という言葉を使う場合は、「寺院墓地」のことを指します。読んで字の通り、お寺が管理する墓地のことです。基本的には、そのお寺の檀家さんがお墓を建てることができ、お墓は代々の住職により手厚く供養されます。多くの日本人がまずイメージするお墓はこの「墓地」ではないでしょうか。家単位で墓を建て、竿石に「○○家先祖代々之墓」などと彫り込んで、一家の関係者に亡くなる方が出ると、葬儀のあとにここに納められる。お彼岸とお盆には一族で集まってお参りをする……。明治時代以降、「家族墓」というスタイルが生まれ、このような「墓地」が一般的になりました。

では、「霊園」とは何でしょうか。「墓地」を管理するのが寺院であるのに対し、「霊園」は、都道府県や市町村などの地方自治体や、非営利の公益法人、宗教法人などが管理しています。墓地や霊園は、法律(墓地、埋葬等に関する法律施行細則)で事業として収益を上げることが認められていないため、一般の企業が経営・管理することはできないのです。
また、もっと大きな違いとしては、宗教・宗派の制限が厳しくないことがあります。寺院墓地はお寺の檀家さんが眠っているという性質上、そのお寺の宗派に属している人でないと入るのは難しい場合がほとんど。しかし「霊園」では、その制限が非常に緩やかです。地方自治体が管理している霊園は無宗教・無宗派が原則ですし、民間の法人の霊園でも、寺院墓地に比べればほとんど制限はないといっていいでしょう。
霊園の歴史は、明治維新の時代にはじまります。以前の記事「神道のお墓とは?」でも書いたように、江戸時代はお寺が檀家制度を通じて住民の管理までを行っていました。明治時代にその体制が崩れ、また仏教以外の形式のお墓を持ちたいというニーズが高まってきたのです。そこで、政府は東京に青山霊園、多磨霊園、谷中霊園など、宗教や宗派に関係なく、だれでもお墓を建てられる場所を作りました。これが「霊園」のはじまりです。政府が作った霊園は、今では東京都が管理しています。ここには明治時代から現代までさまざまな著名人が眠っています。政治家、華族、軍人から実業家、芸術家、俳優に至るまで、その顔触れはさまざま。宗教は問わないので、思想信条として無宗教を選んだ人や、キリスト教やイスラム教を信じる外国人のお墓もあります。

増える「霊園」は、自由なお参りの要望から?

さて、「墓地」と「霊園」の違いを簡単に見てきました。それでは、「墓地」と「霊園」は今どちらが多いのでしょうか?
近年開発されているお墓は、圧倒的に「霊園」が多いのです。管理母体としてお寺が宗教法人としてかかわっている場合も多いのですが、スタイルとしては宗教・宗派の制限が少ない「霊園」がほとんど。また、寺院墓地から霊園に模様替えするお寺も増えています。やはり檀家制度が今の時代にそぐわなくなってきたこともありますが、戦後東京に人口が集中したためにお寺にご縁がない人たちが増えたこと、また以前の慣習にとらわれたくないと思う人たちが増えたことによるのでしょう。「団塊の世代」が60代を過ぎ、お墓について考えることが多くなってきたことが、大きな原因になっていると思われます。
戦後の時代を生き抜き、社会の舵取りをしてきた団塊の世代は、生活スタイルや文化に大きな変化を与えてきました。その影響が、いよいよお墓にも及んできたといえるのではないでしょうか。団塊以降の世代は、より自由な形でお墓をとらえることができることでしょう。墓石の変化については以前の記事「お墓を建てるときに」でも触れましたが、それぞれのお墓だけではなく、故人が眠る場としての「墓地」「霊園」というもの自体、大きく変わる時代を迎えています。

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