墓石の歴史② 〜求められる「お墓」像の変化

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前回の記事で、現在の「お墓」の形は江戸時代に入ってから定着し始めたとお話ししましたが、実際に庶民がお墓を持つようになったのは明治時代に入ってからです。
明治時代は日本の歴史上怒涛のターニングポイントとなりましたが、同時に「お墓」のあり方も劇的に変わったタイミングでした。

民法の制定による価値観の変化

江戸時代まで、「お墓」は個人墓の意味合いが圧倒的でした。特に庶民は金銭的に家族向けの大掛かりな「お墓」を建てらなかったため、ということや、時代特有の考え方として「お墓」は亡くなった人間を弔うために作るという考え方が非常に強かったからです。
明治時代、民法において家族法が制定されてから家制度に関する事柄が規定され、且つ祭祀承継者が定められたことで「お墓」のあり方が劇的に変わりました。祭祀承継とは、民法897条で規定された「系譜、祭具及び墳墓等の祭祀財産を承継する者」をいいます。これらはそれぞれ、

 系譜:先祖代々の血縁関係者のつながりを表したもの
 祭具:祖先の祭祀や礼拝に用いられるもの。仏壇・神棚・位牌・霊位・十字架など
 墳墓:遺体や遺骨を埋葬している土地に付随した設備。墓石・墓碑などの墓標や土葬の場合の埋棺など

とされています。
これらを「継承」することが法律で規定されたことで、現在主流の家族ごとのお墓、すなわち家族墓が根付いていくことになります。
民法は戦後改正されていますが、こうした内容を含めて一部は受け継がれ現在まで残っています。

埋葬方法の変化とともに

家単位の埋葬が定着したもうひとつの背景には、埋葬方法の変化があったことが必要不可欠でした。
日本の埋葬方法は、明治時代初期までは土葬が主流でしたが、それによる墓地が不足することや仏教的意味合い(釈迦が火葬された点)が手伝って次第に受け入れられるようになっていきます。
一時は神道派からの反発があって明治6年に火葬禁止令が発令されましたが、2年後にはあっけなく解除され火葬が一気に普及していきます。いよいよ墓地不足が深刻化したことが原因でした。
以降、公衆衛生の観点からも火葬を重視する動きが活発化します。特に大正時代に入ると役場が火葬場設営に積極的になっていき、定着しました。現在の日本での火葬実施率はほぼ100%と言われています。
そして高度経済成長期に入り一般庶民の暮らしが豊かになるにつれ、「墓石としてのお墓」が一般的になっていきました。

先祖返りする「お墓」

さて、明治維新を迎えてから今日までの150年間、私たちの生活スタイルや価値観、家族のあり方は大きく変化しました。納骨堂埋葬・散骨・樹木葬などすでに時代のニーズを汲んだ埋葬方法もメニュー豊富に用意される時代になりましたが、共通するのは自己完結型という点です。家族や周りの人間に迷惑をかけないようにしたいと考える人々が増えてきたのです。つまり、現在の「お墓」は「個人を埋葬するお墓」という位置付けが強く求められていると言えます。
意外なことかもしれませんが、お墓は時代とともに、元々の意味合いに立ち返ろうとしているのです。

こちらもご参考に⇨墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)のお話

墓石の歴史② 〜求められる「お墓」像の変化

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前回の記事で、現在の「お墓」の形は江戸時代に入ってから定着し始めたとお話ししましたが、実際に庶民がお墓を持つようになったのは明治時代に入ってからです。
明治時代は日本の歴史上怒涛のターニングポイントとなりましたが、同時に「お墓」のあり方も劇的に変わったタイミングでした。

民法の制定による価値観の変化

江戸時代まで、「お墓」は個人墓の意味合いが圧倒的でした。特に庶民は金銭的に家族向けの大掛かりな「お墓」を建てらなかったため、ということや、時代特有の考え方として「お墓」は亡くなった人間を弔うために作るという考え方が非常に強かったからです。
明治時代、民法において家族法が制定されてから家制度に関する事柄が規定され、且つ祭祀承継者が定められたことで「お墓」のあり方が劇的に変わりました。祭祀承継とは、民法897条で規定された「系譜、祭具及び墳墓等の祭祀財産を承継する者」をいいます。これらはそれぞれ、

 系譜:先祖代々の血縁関係者のつながりを表したもの
 祭具:祖先の祭祀や礼拝に用いられるもの。仏壇・神棚・位牌・霊位・十字架など
 墳墓:遺体や遺骨を埋葬している土地に付随した設備。墓石・墓碑などの墓標や土葬の場合の埋棺など

とされています。
これらを「継承」することが法律で規定されたことで、現在主流の家族ごとのお墓、すなわち家族墓が根付いていくことになります。
民法は戦後改正されていますが、こうした内容を含めて一部は受け継がれ現在まで残っています。

埋葬方法の変化とともに

家単位の埋葬が定着したもうひとつの背景には、埋葬方法の変化があったことが必要不可欠でした。
日本の埋葬方法は、明治時代初期までは土葬が主流でしたが、それによる墓地が不足することや仏教的意味合い(釈迦が火葬された点)が手伝って次第に受け入れられるようになっていきます。
一時は神道派からの反発があって明治6年に火葬禁止令が発令されましたが、2年後にはあっけなく解除され火葬が一気に普及していきます。いよいよ墓地不足が深刻化したことが原因でした。
以降、公衆衛生の観点からも火葬を重視する動きが活発化します。特に大正時代に入ると役場が火葬場設営に積極的になっていき、定着しました。現在の日本での火葬実施率はほぼ100%と言われています。
そして高度経済成長期に入り一般庶民の暮らしが豊かになるにつれ、「墓石としてのお墓」が一般的になっていきました。

先祖返りする「お墓」

さて、明治維新を迎えてから今日までの150年間、私たちの生活スタイルや価値観、家族のあり方は大きく変化しました。納骨堂埋葬・散骨・樹木葬などすでに時代のニーズを汲んだ埋葬方法もメニュー豊富に用意される時代になりましたが、共通するのは自己完結型という点です。家族や周りの人間に迷惑をかけないようにしたいと考える人々が増えてきたのです。つまり、現在の「お墓」は「個人を埋葬するお墓」という位置付けが強く求められていると言えます。
意外なことかもしれませんが、お墓は時代とともに、元々の意味合いに立ち返ろうとしているのです。

こちらもご参考に⇨墓埋法(墓地、埋葬等に関する法律)のお話